【日本史】明治新政府が内外に打ち出した方針とは?(東大のディープな日本史 第16問、1997年第4問)

日本史

こんにちは、たんたんです。

今回は、「社会人の日本史学びなおし」として、東大のディープな日本史の第16回を扱っていきます。

・学生時代、もっと真面目に歴史を勉強しておけばよかった。

・日本史を学び直したいけどどうやったら勉強したらいいの?

と悩んでいる方は一緒に学んでいきましょう。私も社会人になってから、日本史を勉強しておけばよかったなぁと後悔して勉強を始めました。

今回は第16回「明治新政府が内外に打ち出した方針とは?」です。

テーマ16:明治新政府が内外に打ち出した方針とは?

問題:

(1)〜(3) の文章を読んで以下の設問に答えよ。

(1) 明治元年2月晦日にイギリス公使が襲撃される事件が発生し、3月12日にイギリスは太政官に、外国人への暴行厳禁を命ずる新令を掲示するよう督促した。しかし、太政官のなかでは、そのような新令の掲示は外国人に屈したように見えるという意見がでて、直ちに決定ができなかった。

(2) 明治元年3月15日に、太政官から呼出しがあったので熊本藩の重役が出頭すると、次の5枚の高札の文面と前日に出された五箇条の誓文が手渡された。

五箇条の誓文
I 五倫(父子、君子、夫婦、長幼、朋友)の道徳を守ること
II  徒党を禁止する
III キリシタンを禁止する
IV 開国和親の政策をとるので、外国人殺害を禁止する
V 戦乱に乗じ、本来居住すべき地から脱走することを禁止する

(3) 太政官の高札が江戸日本橋に掲示されるのは、明治元年7月になってからである。このとき政府が掲示を督促した高札は、IからIIIの3枚であった。

設問
A 五箇条の誓文と5枚の高札の文面が同時に手渡され、しかも両者が共通して対外関係について触れているのはなぜか。(1)で述べられている事実を踏まえて説明せよ。

B (3)を手がかりに、維新初期の民衆政策のあり方について説明せよ。

考え方のポイント

A : (1)について

まず、明治元年2月、3月は、戊辰戦争の真っ只中である事を押さえておいてください!

つまり、戊辰戦争中に新政府軍は新しい政治方針を作らないといけなかったという事ですね。そのタイミングでイギリスから攘夷や外国人排斥の禁止を求められた。

という事です。太政官の反対もあったけれど、今は旧幕府軍と抗争中のため、列強の支持を得たかったため、ある程度列強の言うことも聞かないといけないなー。と言う事なんでしょうね。

B: まず五榜の掲示について教科書で調べてみましょう。

新政府の教訓:五榜の掲示の内容は、五倫の道を説き、徒党・強訴、キリスト教を禁止するなど、旧幕府軍の共学政策を引き継いだ。(もう一度読む山川教科書)

つまり「旧幕府軍の民衆統制を踏襲する事」を中心に置いていることがわかります。

解答メモ

A:
背景:戊辰戦争の中で欧米からの支持を得る必要があった,
結果:催促された攘夷厳禁を民衆にまで徹底させる必要があった。

B:
旧幕府の政策を継承して儒教道徳の遵守,徒党・キリシタンの禁止を掲げた。

まとめ

明治新政府は、旧幕府との戦いをの最中にありながら、欧米列強との非常に微妙な外交が余儀なくされただけでなく、民衆の声もある程度押さえる必要がありました。つまり非常に難しい政治の舵取りが必要とされています。

過去の政治家達は今の議員を見て何を思うんでしょうか、、(遠い目)

次回は「大久保利通が描いた日本の未来像」についてです。

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次:問17. 大久保利通が描いた日本の未来像

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