【東大・日本史】 協調外交以外に日本に道は無かったのか?(1990年第4問・東大のディープな日本史第19問)

日本史

こんにちは、たんたんです。

今回は、「社会人の日本史学びなおし」として、東大のディープな日本史の第19回を扱っていきます。

・学生時代、もっと真面目に歴史を勉強しておけばよかった。

・日本史を学び直したいけどどうやったら勉強したらいいの?

と悩んでいる方は一緒に学んでいきましょう。私も社会人になってから、日本史を勉強しておけばよかったなぁと後悔して勉強を始めました。

今回は第19回「協調外交以外に日本に道は無かったのか?」です。

テーマ19:協調外交以外に日本に道は無かったのか?

問題:

次の文章は,当時ジャーナリストとして活躍していた石橋湛山が,1921年のワシントン会議を前に発表した「一切を棄つる覚悟」の一部である。これを読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。


仮に会議の主動者には,我が国際的地位低くして成り得なんだとしても,もし政府と国民に,総てを棄てて掛るの覚悟があるならば,会議そのものは,必ず我に有利に導き得るに相違ない。たとえば(1)満州を棄てる,山東を棄てる,その他支那(注1)が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる,その結果はどうなるか。またたとえば朝鮮に,台湾に自由を許す,その結果はどうなるか。英国にせよ,米国にせよ,非常の苦境に陥るだろう。何となれば彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては,世界におけるその道徳的位地を保つに得ぬに至るからである。(中略)ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども,今にしてこの覚悟をすれば,我が国は救われる。しかも,こがその(2)唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は,同時に,我が国際的位地をば,従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である。
(『東洋経済新報』1921年7月23日号)

A 下線部(1)の「満州を棄てる」とは何を棄てることを意味するのか。それを日本が獲得した事情を含め説明しなさい。

B 下線部(2)の「唯一の道」をその後の日本が進むことはなかった。その理由を,歴史的経緯をふまえ述べなさい。

考え方のポイント・解答メモ

A:「満州を棄てる」とは何を棄てることを意味するのか?

まず、「満州」を得た経緯を考えると、日露戦争です
獲得した事情というのはポーツマス条約を意味します

また、それを捨てるということは、ポーツマス条約で手に入れた、旅順・大連の租借権,長春・旅順間の鉄道とそれに付属の利権を一切捨てる。 ということを意味します。

B 下線部(2)の「唯一の道」を日本が進むことはなかった理由

満州を手放せなかった理由として、日本の当時の状況を考える必要があります。
・日本は戦後恐慌により市場縮小
・満州は資源の供給地や輸出市場として必要不可欠だった、
という歴史を踏まえる必要があります。

まとめ

この問題を解きながら、日本がこの唯一の道を取れた可能性があるかと考えたら、限りなくゼロに近いだろうと思いました。日露戦争で得た成果を自ら放棄して、「みんなも同じようにしようよ」と投げかける事が現実に出来たとは思えませんでした。

この時点で、国際社会からの孤立や戦争への道のりは避けられないレベルまで来ていたんですね。
次回は最終回です! 憲政の常道が終焉し、戦争に向かった経緯についてです。

前:問18.  明治日本が産業革命を達成できた原動力とは?
次:問20.  憲政の常道はなぜ終焉したのか?

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