【学び直し・日本史】問4. 平安初期に律令国家や文化はどのように変化したか(東大のディープな日本史)

日本史

こんにちは、タンタンです。

今回は、「社会人の日本史学びなおし」として、東大のディープな日本史の第4回を扱っていきます。

・学生時代、もっと真面目に歴史を勉強しておけばよかった。

・日本史を学び直したいけどどうやったら勉強したらいいの?

と悩んでいる方は一緒に学んでいきましょう。私も、理系選択者だったので高校で日本史はほとんど習っていません。社会人になってから、日本史を勉強しておけばよかったなぁと後悔して勉強を始めました。

東大のディープな日本史を使ったおすすめ勉強法の紹介

私が実践している勉強法は下の3冊を使います。

具体的には、「歴史が面白くなる東大のディープな日本史 」の問題を、
新もういちど読む山川日本史」や「日本史用語集」で調べながら、自分なりの回答を見つけるということです。これをやるだけで、歴史の流れがバッチリ身につきます。

今回は第4回「平安初期に起きた律令制度と文化の変化」です。

テーマ4:平安初期に律令国家や文化はどのように変化したか

問題:

詳しい問題文・参考文は、東大のディープな日本史を参照してくださいね!
概要をいうと、古代における律令国家や文化の変化の中で、嵯峨天皇が即位していた時代がどのような意味を持っていたか、政策と文化の関わりに注目して説明する

考え方のポイント

平安初期は天皇が、天武系から天智系に転換し政治や文化が変化しました。

奈良時代にグダグダになった律令を、何とか持ち直そうとしたのが平安初期の政治って感じですね。


古代における律令国家や文化の変化の中で嵯峨天皇が生きた時代がどのような意味を持っているか政策文化の関わりに注目して説明する必要があります。

政策面

まず政策面で考えると

・810年 蔵人所 (天皇の機密事項を使う役所) の設置
・816年 検非違使 (京中の警備業務) の設置
→ 令外官の新設をしていますね。

令外官:大宝令制定後から平安時代にかけて新設された、令に規定のない役職。のちに重要な官職となる。

次に
・820年 弘仁格・式の成立
・833年 令義解 の完成
→ 律令制度の修正、整備

・818年 平安宮の諸門の名称を唐風に改める
唐風化政策

・律令を実情に合わせた形で修正、再構築

・唐の政策に倣って天皇の権力を高め、官僚制に基づく貴族社会を構築しようと頑張ったという感じですね

文化面

・唐風文学の高まり
・大学別曹:勧学院の設立
→ 文章経国思想の高まり、唐風の文化の吸収、浸透が進んだ。貴族社会の教養として漢文学が重んじられた。

文章経国思想:文芸は国家の支えであり国家の構成のカギであるとする思想。

解答メモ

これをまとめると、

政策面:律令を実情に合わせた形で修正、再構築。天皇の権力を高め、官僚制に基づく貴族社会の構築を目指した。
文化面:貴族社会の構築に伴い、貴族社会の教養として漢文学が重んじられた。文章経国思想の高まりもあり唐風の文化の吸収が進んだ。(その後の国風文化の高まりの礎となった。)

というところだと思います。

まとめ

古代の流れは、人物で追っていくといまいちよくわからなかった思い出がありますが、律令制度の成立、変容、再構築という流れで考えると、なぜこの時代に唐風文化が流行ったのかが理解できますね。それでは、次回はついに摂関政治です。藤原道長は「御堂関白」と呼ばれた割に、一度も関白になっていません。その理由は次回明かされます。

前:問3. 郡司は地方支配にどのような役割を果たしたか?
次:問5. 摂関政治と院政の違いは何か?

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